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[ 超パラレル注意報 ]
 





通り雨みたい。そう言うと彼は声を立てて笑った。馬鹿にしたように、眉宇を潜めて笑ったのだ。(被害妄想、なんて言わせない)その姿を見るだけで、私の胸はぎゅうと締め付けられる。
 不意な、通り雨。本当に的を得た答えだと自分で思う。いつもは飄々としてる、多分部内一の男前だと誰かが言ってた。いつもすっぱりと裂くような物の言い方をする。些細な事には興味を示さない、流している様にしたものを見る角度、それはまるで自分の気持ちを隠してるようにも思えた。それに慣れたのは何時だろう。それが私の前だけであると気付いたのは、いつ、だったろうか。愉快そうに、クラスで友人と笑う姿を見た時から気付いて、もう暫く経つ。
 野球をしてるとき。集中している姿をみたとき。全て、全て、そうであった。
 バスのライトは宵闇を割くように進む。只、それだけをぼうっと眺めていた。数十分前の事を思い出しながら、ただ暗闇を映す硝子に目を向ける。喋る人もない、静かな空間をバス内は保っていた。走行音だけがじだに響く、泣きたくなる。
 さよならと言って、背を向けた。酷い女だと、思われただろうか。
 その時私は意識がないに等しかった、だからバスの急停車に気付くのも自分が席から浮いた時だった。






 ちかちかする、目蓋の裏が。暖かい光に晒されて、目を閉じているのに眩しい。何をしていただろう、多分、バスに乗って、沢山泣いた様な気がする。泣いてないような気もする。それと、大好きな人に、嫌われた気がする。今も、ぼたぼたと頬を滑る。止めどなく降り注ぐ、滲みでたようでぽたぽたと当たるそれ。ふと空洞を感じ、違和感に身を震わせる。何かがおかしい。深い淵に置き去りにあった様な意識、途端腕がちくりとした。思えば、身体中、痛い。なんだろう、神経を這うような、零れ落ちる波。これは何だろう。恐る恐る窺うように瞼を押し上げた。
 自分の涙だと思っていたのは雨だった。灰色でどんよりとした雲から、ポツポツと小雨が舞い降りていたのだ。
「あめ…?」
 耳を打つ喧騒、流れてくる人の声。私の声を聞いて一人の人が駆け寄ってくる。白衣に、白磁のメット。そして打ち付ける雨適に負けないと言わんばかりの声で私に呼び掛けた。
「大丈夫ですか?すぐに次の救急車が来ますからね」
 沢山、沢山の色が辺りを照らす。空の黒さ、ライトの白さ、眼前にいる人の肌色、木々の深い緑色。指にぎゅうと握る暖かさは、きっとこの人の掌だろう。じくじくと神経を削る痛みに、何故私は目を醒ましたのかと後悔した。今度こそ本当に視界が揺れる。痛い痛い痛い。
 泣く私に強く呼び掛ける声、大丈夫、もうすぐだから、と。それでも私はぼろぼろ泣いて、終いには痛みに堪えきれずに声を上げた。思い出す、バスが横転した。強く窓に頭をぶつけて、倒れた。人の悲鳴を聞いた、泣き声も、衝突音も、叩き付けられたように聴いたのではなかったか。少し顔を動かせば、視界に入る人々。同じように痛みに耐え、堅く身を抱きしめている。身を包む恐怖、これが私の最後だろうか、ふとそう考えた。世界が終わる気がした。世界が終える気がした。最後に感傷に浸ることすら許されないんだ、そんな事すら思う。あまりに酷いではないか。酷いじゃないか。
 その時に不意に掌が包まれた。痛みが走る、けれど伝わる熱がじりじりと心を優しく撫でて涙を止めた。誰だろうか、誰だ、ろうか。神経が疎くなったのかもしれない、もう、顔を動かすことすら億劫で。
 「痛かったら言って」と低くて声にならない言葉届いたので、私は手の握る人が男性であるとわかった。その痛いという表現が握られた掌だということも。




「おはよう」
 そう言われて今度は起きた。白磁のシーツに、褐色の天井。人は生まれてくるように眼が覚めるんだなと思う。文字通り、私は生き返ったのだと思ったし、身体を打ち付けていた痛みすら消えていたので、あ、天国?と傍らの人に尋ねてしまった。それが肉親で、しかも母親であることに気がついたのは彼女の罵声が届いてからだ。その時にようやっと母の濡れた顔に気がついて、場違いながらも生きていることを認めた。
 ただ窓からは焼けたような太陽が覗いていたので、あれから1日、又はそれ以上経過しているのだと理解する。情感に浸る時間もなく、あれよあれよと目覚めてからの検査が与えられた。痛みを感じないのは麻酔を打たれているかららしい。むしろ痛みがないので、あの恐怖とか人類の破滅とか終焉とか、そう考えてた一瞬は只の妄想でしかない気もしてきた。口にしたってきっとただの妄言にしかならないんだろう。窓の向こうの夕焼けは遠い、その茜色に呑まれたって構わないのに。疲労や眠気がただ襲う。寝台に居るのはわかるので眠っても構わないとは思うけれど、次々になだれ込む医者であったり看護士が、それをしてはいけないと攻め立てるように脚を踏み込む。意識をまるごと持ってかれそうな、そんな気がする。すると次に何人もの団体が部屋に入ってきた。全員闇色のスーツを見て、母は悲しそうにまた涙を零す。そして深く頭を下げたその人たちを言葉で制し、誰も怨めません、そんな事しませんと強く言い切った。かっこいいなあと思った。私のお母さんはかっこいいのだ。ぼんやりと眺めていたが次に彼等はこちらを向いたので、今度こそ私は身を強張らせる。感情に謝罪を乗せた様な顔だった。溢れ出てくる悲しみに、巣食われそうな人たちだと思えた。そうだ当事者は私だった。彼等は事故を起こした関係者に違いない、あれは痛かった、あれは辛かった。それでも、これ以上この人たちに泣いて欲しくないと思う気持ちが勝っていた。その事に自分が驚く。だから笑った。引きつったかもしれない、それでも私が出来る笑顔を、彼らに向けたかった。大丈夫だと、伝えたかったから。ゆるゆると彼等は顔を歪めた、申し訳ないと言葉を吐いて。そんな事望んではいないのに、何故泣いてしまうのだろう。涙は凶器で、誰が流したって人の心を削るのに、何故彼等は泣くのだろう。母が意を決したような声を出したのはその時であった。
「亡くなった方はみえるんでしょうか」
 誰もが息を呑んで、苦渋に表情を固める。ひとりが言った。男の子がひとり、亡くなりました、と。その瞬間、私の中で何かが弾けた。子供のように涙が溢れて、声が止め処なく漏れる。叫びに近い声を辺りが満たし、異変に気がついた先生が飛び込んだ。母は手を握り締めて離さないで居てくれて、私は不意に事故当時の男の人の掌を思い出す。ずるりとした手の感触、あれは血ではなかったか、あれは誰の体液であったのか。しゃくりあげる私を母が抱き上げ、背を摩る。医者の静止もお構いなしに私を頭を撫でた。そして小さく呟く、生きているからと。部屋は清潔感に溢れているのに、消毒液の匂いが鼻腔に響くのに、私の心はあの時の衝撃が埋め尽くしていた。
 今度こそ叩きつけられたように扉が開く。誰もが呆けた瞬間であった。母の肩から見えた、濃灰色の長い髪の毛、その後ろには咎めるような看護婦の声が飛び交う。彼女の顔は濡れていて眼の下は赤く腫れ上がっているのに、なのに、私の姿を捉えた瞬間にそれはまた大粒の涙を零した。何時だって強くて、優しい人。母だってそう、こんなに大切な人たちを私は泣かせてしまったのか。監督は誰の制止すら届かないという風情で、病室にどんどん入り、そして母ごと、私を抱きしめた。
「か…とく…」
 近くで見るとわかる。飛び出して来たんだと、髪の毛も顔もぐしゃぐしゃだ。
「篠岡…」
 呼ばれた方に顔を向ける。彼女の向こうに、彼らが見えた。いつも背を追いかけている、私の宝物。宝物だ。扉の向こうに、まるで立ち入ることを一線で踏みとどまっている様な彼ら。その中には彼も居た。ああ、会えた。また、会えたね。




 空気が割れた。そんな気分だった。聞いた事もない、あの子の声だった。飛び出した監督を、誰が止めることが出来たのだろう。面会謝絶、くそ喰らえ、初めてそう思った。大儀そうに、当たり前だと言わんばかりに医師は俺らにそう伝えていた。今思えば彼も疲れているようだった。衝突事故、バスの横転。次々に運ばれる患者、押し寄せる家族親族友人に見も心もすり減らしている。思わず口元を押さえる、溢れてきそうだった。

 俺は、あの場に居た。去っていくあの子を追いかけて、後悔に打ちしがれながら君を捕まえに駆けた矢先だった。時間が合うバスもなく、走れるだけ走ろうとした、そんな時だったんだ。あれだけ遠くに居たのに聞こえた衝突音。煙幕。心が硝子で出来ていたのなら、きっと粉々だ。まだ校舎から近かった場所だったから、田島の家にもそれは届いていた、多分軽い野次馬精神で田島は家を飛び出したのだろう。遠くに舞い上がる煙を見て動けない俺を見つけるまでは。まさかと思った、そんな事が怒ってたまるもんか、と。校舎から見えた篠岡が乗り込んだバスが、どうしてこれだと言い切れる。そう否定していても、頭のどこかでそれが打ち消されていた。急げ急げと、脚を振るいたてさせた。結局田島に手を引かれるまで、俺は立ち往生していた。掴まれた腕に鼓動が乗る。田島も、緊張を汲み取ったのか、心なしに震えていた。


「やあああああああああああ」


 大気が震えた。俺の、だ。煙、炎、黒い空、雨、人、血、君。


 聞いた事もない、音。痣だらけの肌に、打撲痕。担架に乗せられて叫んでいる彼女に、俺らは、俺は今度こそ崩れそうになった。がたがたと身が恐いと叫ぶ、震えが伝染して、田島が俺を見た。どん、と背を押される田島は後ろポケットに仕舞い込んであった携帯を取り出して、モモカンを呼び出す。それは今にも泣きそうな顔だった。震えているのは俺だけじゃない。逆境に強いんだなと少し関心さえした。
 きっと雨に濡れていなかったら泣いていたかもしれない。もしかしたらもう、泣いていたかもしれない。促されるように駆け寄って手の握ると、栗色の髪が僅かに跳ねた。近づくたびに鼓動が跳ねる、傍に居た救急隊員にどいてもらうと、とうとう俺は膝が折れた。
 指を、握る。痛くないだろうか、痛いに決まってる。でも、離したくはなかった。焼けるような心に、窺うように彼女を見ると、君はそっと笑った。笑いかけた。こんな時に、何故。今度こそ俺は涙を堪えられなくて、ずっとその手を握り締めた。







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