叩き付ける様な雨に、傘の生地が耐え抜こうと反応する。叩くような打ち付ける雫。まるでバケツをひっくり返した様な、視界が定まらない雨。スニーカーは雨水が染み込んで、歩く度に音を立てた。水の幕を張りめぐらせた道路は、車が通る度に飛沫をあげていく。身体が冷えていた。芯から暖かさが抜け落ちた様な、木偶人形みたいな気分。


 帰ると家の一階はもぬけの殻だった。そういえば祖母の検診に連れて行くと言っていたっけ。そう今朝の出来事を頭に浮かばせた。全身がびしょ濡れで、歩くと床に水溜まりが出来、道の様に連なるそれは川の様にも見え、自分はどこにいるのかと錯覚もする。まるで、溺れているみたい。惰性な感情のまま脱衣所まで行くと、水が滴ってぐしゃぐしゃの衣服を脱ぎ、そのまま洗濯機に放った。ついでに先程、同じ様に濡れ鼠になってやってきた彼の上着も容れてしまう。引き出しにある一番上のタオルケットを頭から被ると、今は遠いお日様の匂いがした。
「…なんて格好してるの」
 そのままの姿で部屋に戻ると、彼は第一声にそう言った。思えば替えたのは下着のみで、他には纏わずにタオルを頭に乗せただけ。水谷くんが居るの忘れてたから、そう酷い嘘をつく、貴方は困った様に笑うのだけど。(でも、きっと傷ついた)彼はたまに女の子なんだからとか、らしくとかそういう事を言う。可愛いものが好ましいのかもしれないが、そうするなら私は完璧に対象外だ。
 甘えた様に抱き着くと、母が子にするように頭を撫でられる。それがちょっと悔しくて、私は何がしたいんだろうと思った。何を、して欲しいんだろう。酷く冷えていた身体が、彼の体温を吸いこむ。じわじわ滲む人の温度に、ほうと息をついた。あったかい、私は人形ではない、人の温度を感じる事の出来る生き物なんだ。先程購入した炭酸水を抱きついたまま袋ごと渡す。闇色の液体が、ペットボトルの中でたぷりと揺れた。袋にはまだ多少温かさの残るカフェオレも入っている。
「なんで暖かいものと冷たいものを一緒にするかなぁ」
「だって」
「うん」
 知ってる。そんな風に言い残したのを最後に、彼は私の濡れそぼった頭をぐしゃぐしゃとタオルで拭った。くすぐったさに身を捩ると、柔らかい感触が降ってくる。触れて、舐めて、溶けるみたいに抱きついた。彼の掌を見ると生命線が見えてその長さに、笑ってしまう。彼は長生きするだろう、それがとても嬉しかった。暖房器具に暖められた室内にいると、不意に眠気が訪れる。閉じそうになる瞼と目尻を、彼が口付けて抑えた。眠ったら死んでしまうから、そんなことを言うので、雪山にでもいるみたい、そう返す。多分言葉の言い回しでは、私が眠ってしまうと、死んでしまうのは彼なのだろうけど。水谷くんは自身が着ていたパーカーを脱いで私に着せる。どうせ脱がすのに、そんな事を言えば常套句が私に降りた。だって、本当の事じゃない。
「甘えん坊」「寂しがり屋」「泣き虫」
 お互いがお互いに、そうであるとわかっていた。賢くなりたいとは思わない。聞き分けがいい子供なんて、嫌だ。雄弁に語る事がいいんじゃない。推し量る術もない、天秤にかけるものでもない。私達は、何時から表情の些細な変化を気付ける様になったのだろう。確りとしたものはない、そういえば愛の言葉すら吐いたこともないんだ。
 こんな水谷くん、私しか知らないよ。それを言うなら、こんな篠岡、俺だけのものだよ。単調なリズムで繰り返す問答。惰性な感情のまま、お互いの肌の温もりを抱えたまま、密かに孕ませる言葉と感情を全て行動に乗せる。言葉の代わりに口付けを、温度と一緒に情愛を。

 期日迫る催しを乗りきる為に。



071115